色んなカタカナ その8
★ボート・ノート(boatnote)
輸入貨物を受け取る際、本船側と荷受人側との間の貨物受渡しを証する一種の貨物受取証。
B/Nと略称します。
荷受けの際、双方の検数人(tallyman)が立ち合い、品名、荷印、番号、数量、船艦番号、荷揚月日など貨物の詳細にわたるチェックが行われ、これに基づいてボート・ノートに必要事項が記入され、両者の署名並びに税関職員の船卸確認印押印の上、発行されます。
通常、ボート・ノートは3通作成され、本船、揚地会社、荷受人に手渡されます。
★ボート・ノート(boatnote)
輸入貨物を受け取る際、本船側と荷受人側との間の貨物受渡しを証する一種の貨物受取証。
B/Nと略称します。
荷受けの際、双方の検数人(tallyman)が立ち合い、品名、荷印、番号、数量、船艦番号、荷揚月日など貨物の詳細にわたるチェックが行われ、これに基づいてボート・ノートに必要事項が記入され、両者の署名並びに税関職員の船卸確認印押印の上、発行されます。
通常、ボート・ノートは3通作成され、本船、揚地会社、荷受人に手渡されます。
●ポート・オーソリティ(portauthor-ity)
港湾の公共性を保つための公権力による管理権を持つとともに、港湾を修築し、経営し、運営する公共企業体。
一般の行政部門から独立した存在であり、その特色は、①公共性、②商業性(独立採算性)、③港に関する一切の権威という3つの点に要約されます。
この名称は、1909年にPortofLondonauthorityが設立された時、ロイド・ジョージによって名付けられ、以後欧米をはじめ世界各国に広まりました。
わたしたちの国においては、1950(昭和25)年に制定された港湾法による港務局制度がポート・オーソリティの理念を法制化したものといわれているが現在、わたしたちの国の港の中で港務局制度を採用しているのは新居浜港(愛媛)一港のみです。
●ポーティング・マシーン(votingmachine)
アメリカでは、各地域に政治的ボスがはびこり、選挙のための政治組織(ポリティカル・マシーン;politicalmachine)による買収が多発しました。
このような政治腐敗を是正しようとする改革主義運動(プログレッシビズム;progressivism)が全国に波及したのもこの時代です。
ポーティング・マシーンは、このような背景の下で、政治腐敗から生ずる投票の不正を防止する目的を持っていました。
●ポーティング・マシーン(votingmachine)
自動投票計算機。
投票用紙による投票に伴う不正(記入内容の改ざん、得票数の虚偽の報告他)を防止するため、1836年イギリスで考案さました。
機種によって多少の違いはあるが基本的には、投票者がボタンやレバーを操作して、自らの支持する候補者を機械に登録する形をとっています。
この種の機械はまずイギリスに登場し、アメリカでは1869年にエジソン(Edison、T.A.)によって製品化されました。
また、この種の機械が実際に使用されたのは、1892年ニューヨーク州においてといわれます。
●ボーダー・タックス(bordertax)
ボーダーライン国境線、境界線をいい、かつ、その境界線近辺の地域等を呼んだ英語です。
境界すれすれのというような意味合いから、わたしたちの国では、この言葉は、専ら生活保護を受けている世帯の生活水準を指して呼ぶ言葉に使用されています。
また、その結果、ボーダーライン層というようにして、生活保護世帯を抱括して呼ぶときなどにも使用されています。
多分、ナショナル・ミニマムのボーダーラインという意味合いから始まったもので、後々、ナショナル・ミニマムが略されて、単にボーダーラインというようになってしまったものだと思われます。
●ボーダーランド(borderland)
2つの国や地域の間にある境界に位置する国境地方・地帯、あるいはどちらに帰属するかはっきりしない境界地を指します。
●ボーダー・タックス(bordertax)
輸出課徴金。
輸出税(exporttax:ex-portduty)とともに輸出抑制策の1つです。
前者は国あるいは業界力注体となり、後者は国'が主体となって、行われます。
わたしたちの国では円再切上げを回避する方策として一時期議論されたが現在は行われていない。
また先進国にも例はありません。
●ホーソン調査(Hawthomeresearch)
ホーソン研究の前段階として照明実験があり、作業能率と照明度は正の関係という予想を実験結果が覆しました。
これを契機に、ハーバード大学のメイヨー(Mayo、E.)やレスリスバーガー(Rcethlisberger、F.J.)らが招かれて、この調査に加わりました。
まず継電気組立試験室(RelayAssemblyTestRoom)の調査が6人の女子作業員を対象として開始され、生産性と休息回数・作業時間との関係が調べられたがこの実験も予想を裏切り、短縮した作業時間を以前の状態に戻しても生産性が上昇する結果となりました。
そこで、面接調査が採用され、労働者の人間感情が作業能率に微妙に影響することが次第に明らかになりました。
更に、バンク配線観察室(:.WiringObservationRoom)実験では、労働者が作業に従事しながら、人間感情に基づいて仲間意識や独自の価値基準を持つインフォーマル(infbmla1)な集団を形成していることを発見しました。
●ホーソン調査(Hawthomeresearch)
1924年から1933年までアメリカ、シカゴ郊外シーセロ(Cicero)にある、アメリカ電信電話会社(AT&T)の子会社で電話機、交換機などを製造していたウェスタン・エレクトリック社(WesternElectricCo.)のホーソン工場(HawthomeWorks)において行われました。
産業能率における人間関係の重要性を明らかにした一連の調査研究。
ホーソン研究(Hawthornestudies)ともホーソン実験(Hawthomeexperiments)とも呼ばれます。
フリードリヒ大王は初め、コーヒーを禁止しようとしました。
代わりに国産のチコリを代用品にしようとしたのです。
しかし、1781年になって政府は、コーヒーを禁止するのがいかに困難かを悟りました。
そこで、コーヒーを王室が独占することにし、王室の許可なしにコーヒーを焙煎することを禁じました。
コーヒーを煎るライセンスが与えられたのは、貴族、聖職者、そして高級官僚。
コーヒーは政府からの購入となり、その結果、フリードリヒの収入は大幅に増加しました。
いうまでもなく、その私的ライセンスは、購入する余裕がない一般庶民の手にはわたりませんでした。
コーヒーを煎るライセンスとして与えられるバッジは、上流階級の会員証のような役割を果たました。
その一方で、一般庶民は安い代用品として、大麦、小麦、トウモロコシ、チコリ、干しイチジクなどを求めざるをえず、あるいはコーヒーを非合法的に確保せざるをえなかったのです。
焙煎禁止を強化するため、障害を持つ兵士たちが「コーヒー捜索者」として雇われ、無免許でコーヒーを煎る者を探し出しました。
フリードリヒはコーヒーを、特権バッジを付けた上流階級の飲み物にしてしまったのです。
ドイツにおいては、ラオヴォルフをはじめとする旅行者たちが、1500年代後半の中東旅行の時にコーヒーについて書いています。
しかし最初のコーヒーハウスができたのは、それから約100年後の1680年ごろ。
ハンブルクにおいてです。
いったんコーヒーが持ち込まれると、コーヒーハウスはまたたく間に、ドイツ中に広がっていきました。
しかしコーヒーがドイツの家庭に入り、朝食時の温かいビールや小麦粉スープ(あるいはビール・スープ)に取って代わったのは、18世紀の後半ごろになってからです。
このようにドイツにおいて、コーヒーが受け入れられるのに時間がかかったのは、「ドイツらしくないもの」に対する一般的な不信感、自国産品であるビールに対する昔からの国民の愛情、そして特に、コーヒーに対する持続的な禁止令、税金、中傷のためでした。
このような文化的な風潮は、ヨハン・セバスチャン・バッハが1732年(コーヒーを受け入れはじめている一方で、反感を持つ者もいた時代)、ライプチヒで書いた「コーヒー・カンタータ」にも現れています。
この小作品は、バッハの非宗教的なカンタータのうちの一つで、増加していたコーヒーへの偏執病を、
軽快なパロディーにした一幕オペラです。
当時のドイツにおいて、コーヒーの反対者は、コーヒーが不妊を引き起こすため、女性には禁止すべきだとする戦術を使っていました。
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