« 2010年05月 | メイン | 2010年07月 »

2010年06月 アーカイブ

文化・経済的な反感

ドイツにおいては、ラオヴォルフをはじめとする旅行者たちが、1500年代後半の中東旅行の時にコーヒーについて書いています。

しかし最初のコーヒーハウスができたのは、それから約100年後の1680年ごろ。

ハンブルクにおいてです。

いったんコーヒーが持ち込まれると、コーヒーハウスはまたたく間に、ドイツ中に広がっていきました。

しかしコーヒーがドイツの家庭に入り、朝食時の温かいビールや小麦粉スープ(あるいはビール・スープ)に取って代わったのは、18世紀の後半ごろになってからです。

このようにドイツにおいて、コーヒーが受け入れられるのに時間がかかったのは、「ドイツらしくないもの」に対する一般的な不信感、自国産品であるビールに対する昔からの国民の愛情、そして特に、コーヒーに対する持続的な禁止令、税金、中傷のためでした。

このような文化的な風潮は、ヨハン・セバスチャン・バッハが1732年(コーヒーを受け入れはじめている一方で、反感を持つ者もいた時代)、ライプチヒで書いた「コーヒー・カンタータ」にも現れています。

この小作品は、バッハの非宗教的なカンタータのうちの一つで、増加していたコーヒーへの偏執病を、
軽快なパロディーにした一幕オペラです。

当時のドイツにおいて、コーヒーの反対者は、コーヒーが不妊を引き起こすため、女性には禁止すべきだとする戦術を使っていました。

コーヒーを煎るライセンス

フリードリヒ大王は初め、コーヒーを禁止しようとしました。

代わりに国産のチコリを代用品にしようとしたのです。

しかし、1781年になって政府は、コーヒーを禁止するのがいかに困難かを悟りました。

そこで、コーヒーを王室が独占することにし、王室の許可なしにコーヒーを焙煎することを禁じました。

コーヒーを煎るライセンスが与えられたのは、貴族、聖職者、そして高級官僚。

コーヒーは政府からの購入となり、その結果、フリードリヒの収入は大幅に増加しました。

いうまでもなく、その私的ライセンスは、購入する余裕がない一般庶民の手にはわたりませんでした。

コーヒーを煎るライセンスとして与えられるバッジは、上流階級の会員証のような役割を果たました。

その一方で、一般庶民は安い代用品として、大麦、小麦、トウモロコシ、チコリ、干しイチジクなどを求めざるをえず、あるいはコーヒーを非合法的に確保せざるをえなかったのです。

焙煎禁止を強化するため、障害を持つ兵士たちが「コーヒー捜索者」として雇われ、無免許でコーヒーを煎る者を探し出しました。

フリードリヒはコーヒーを、特権バッジを付けた上流階級の飲み物にしてしまったのです。

About

2010年06月にブログ「クンクンクン」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2010年05月です。

次のアーカイブは2010年07月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

  • みんなでfx
  • みんなでFXは、これから始めてみようという初心者の方のためのFX口座開設ガイドです。
  • ハンガー
  • ハンガーの企画・製造・販売会社TAYAのサイトです。製造メーカーの株式会社タヤが付加価値をもった、オリジナルハンガーをご提案します。ご要望(デザイン・機能)をご連絡ください。国内生産で小ロット・短納期に対応いたします。

OpenSSO

OpenSSOサポート、OpenSSO保守、OpenSSO関連サービスに関する特設サイトです。

医院 開業

医師の求人・転職がご希望なら、業界トップクラスのリクルートドクターズキャリアへ。医師専門で転職支援歴30年。常時10,000件以上の医師募集求人をご用意、専任のキャリアアドバイザーがあなたに合った厳選求人をご紹介し、転職を徹底サポートします。