コーヒーへの理解
しかしながら・・・
コーヒーはこっそりと飲み続けられ、コーヒーハウスもゆっくりと再建されました。
コーヒーの禁止令は、それを飲みはじめたばかりのトルコにおいても、何度もくり返されたそうです。
再犯者を革袋の中に縫い込み、ボスポラス海峡に投げ入れる禁止令もあったといいます。
16世紀のメッカやカイロにおいても、コーヒーは同様の偏見や禁止に直面しました。
宗教の不寛容さと国家権力は、コーヒーの広がりを抑制するために度々介入したそうです。
しかし結局、どれも一時的なものにすぎなかったのです。
暴動的な群集の巣窟になるという理由で、国家権力は度々コーヒーハウスを禁止しました。
しかし実際は皮肉にも、禁止すること自体が民衆の暴動を助長・・・。
コーヒーやコーヒーハウスの禁止に対する民衆の強い抵抗が、いつも最後には勝利しました。
コーヒーは飲まれ続けたのです。
ヨーロッパにおいて様々な方法でコーヒーの消費がはじまった時も、受け入れられるまでの過程で、中東同様の紆余曲折がありました。
すなわち宗教的狂信によって、キリスト教世界におけるコーヒーの未来はおびやかされ、半神話的なコーヒー豆の理解が導かれたのです。